夢の跡地










 閉じた瞼の裏側が真っ白に染まっていく。

 朝日だ。少しだけ嬉しくなったメルセデスは目を開けようとして、始めて開き方がわからないことに気付いた。
 そうだった。溜息を吐く、がそれさえも吐いたつもりに過ぎない。自分の身体が自分のものでないように勝手がわからない。
 わかるのは研ぎ澄まされた五感。世界の情景だけは、身に纏ったフォゾンのおかげで手に取るように理解できた。

 柔らかな陽光と安寧を感じさせる緑の匂い。小川のせせらぎ、花が蕾を開かせる音、飛び跳ねる蛙の飛沫。
 人々の声、ざわめき、生きる街。

 この大地に息づく様々な所業に思いを馳せ、メルセデスの意識はぼんやりと宙を漂う。


 メルセデスは夢を見ていた。何度も何度も繰り返し。
 在りし日をなぞるように繰り返し、そしてそこから派生するいくつもの未来を夢に見た。
 幾度も違う夢を見るうちにメルセデスは気付く。ほんの少しのズレ、選択が大きな波紋となって世界を変えていくのだ。

 死の匂いに消し飛ぶ街、炎に抱かれる青い鳥、手を取り合う二匹のプーカ。
 母と同じように国を治める自分の姿に、二人目を合わせて手を取り合う、そんな世界もあった。

(世界樹となってすべてを見るこの結末は正しかったの?それともこれは何でもないただの夢に過ぎないのかしら。もう誰もわたしを導いてくれる人がいない。わからないのよ、イングヴェイ)

 メルセデスは確かにここで世界樹として生きている。しかし渡った時空のどのメルセデスも我武者羅に世界を生きていた。
 そしてふと気付けば、また朝日に包まれる大樹に寄り添っているのだ。
 そして思う、ああ夢を見ていたのだと。

 現と夢の狭間を常世に彷徨う。それは怖ろしいことのようで、その実メルセデスの心は穏やかでいた。

(だって、そう、わたしは世界樹だから。あの時のわたしは国ひとつ守ることに精一杯で、周りのことなんてちっとも見えていなかった。けれど今わたしはこの世界すべてを見守らなければならない。誰かがこの樹を寄り心とし、讃え、謳い、そして導かれる)

 それは誇らしいことだ。
 でも、ずっとひとりだ。

 そんな弱音を聞いて叱咤してくれる声も、もう。






 空間が柔らかく歪む。
 優しさを水に溶かしたような色の向こう側で彼が笑っている。

(ああ、ああイングヴェイ、イングヴェイ!夢の中のわたしはあなたの骸なんて知らなかった。でも現のわたしは知っているのよ。あの悪夢のような光景がいつまでも瞼に貼りついている)

 その唇が緩く解けて、飄々とした声音が耳を打つ。

「もうすぐさ、きっと会いにいくよ」


 目の端で滲んだ涙が地に落ちる前に弾けて散った。

 メルセデスが作れる最大の笑みを浮かべて羽根を羽ばたかせる。
 上下左右の感覚がわからなくてもどかしい。もういっそ、と全身の力を抜く。
 彼は驚いたように目を瞬かせて、慌てて両手を伸ばした。

(これも夢なのでしょう。でも待って、もう少しだけ覚めないでいて、彼に触れていたいの)

 飛び込んだ腕の中で目を閉じる。瞼の裏側が真っ白にぼやけていく。

(待って、まだ待って)

 しがみつくメルセデスに彼は喉の奥で笑った。
 何がおかしいの、あなたはいつもそう。
 あの頃は蛙の姿の彼しか知らなかったが、繰り返す夢の中で様々な表情を、仕草を知った。
 それでも今なお悔やむのだ、なぜあの時もっと強く彼を引き止めなかったのかと。

「また、会えるさ」


霞む意識の中、力を持った声を聞いた。
そうね、きっと、もうすぐ。

確かにメルセデスには聞こえていた。







い  つ  か
 

















"Crybaby Lily " closed.
Thanks a lot!
2010.1.11






 

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